金剛山 転法輪寺について

真言宗醍醐派大本山金剛山転法輪寺は大阪府と奈良県の県境の金剛山山頂にございます。(標高1125メートル) 三角点付近には、葛城二十八宿経塚の中でも最高峰に鎮座される、第二十一番目の経塚「妙経如来神力品」を有する霊峰でございます。今から千三百年程昔、修験道の開祖、役小角(役行者神変大菩薩)様が当山で厳しい修行中、華厳経諸菩薩住処品第卅二のなかに次のような一節、「海中処アリ金剛山ト名ヅク、昔ヨリ以来諸菩薩衆中ニ止住セラレ現ニ菩薩アリ法起ト云ウ、ソノ眷属諸菩薩衆千二百人ト共ニ常ニソノ中ニアッテ説法ヲ演ジ給ウ。」という教えから法起菩薩様を感得され、一乗山 金剛山寺(いちじょうざん こんごうさんじ)を建立されました。後に金剛山寺にお参りする事を『こんごせ参り』と云われる様になりました。今でもその名残として、千早赤阪村では「こごせ」という言葉は使われています。現在の山号は『金剛山』で、寺名は『転法輪寺』です。奈良時代から鎌倉時代に到る間に修験道は確固たる地位を築き上げ、当寺も近畿の修験道七高山の一つに数えられ、全国の山伏行者達の修行場として大いに栄えました。現在の当山の様子は365日多くの一般登山者が来山し、四季折々の山の景色を楽しまれておられます。冬の時期は多い時で約40センチの積雪がある為、家族連れの方々も気軽に雪遊びにご来山されます。是非ともお気軽にご参拝下さいませ。

金剛山 転法輪寺の本堂

本堂

元々は現在葛木神社がある所に存在し、五堂七宇の殿堂輪煥の美を誇っていましたが明治維新の「廃仏棄釈」の世相に煽られ神仏分離の制が布かれ、廃寺のやむなきに至りました。昭和25年役行者様1250年忌に再興事業が始まり、現在の場所に昭和36年落慶されました。

金剛山 転法輪寺の鎮宅

鎮宅

本堂再興の折、ご尽力下さりました山伏先達様が、大阪高津報恩院様の鎮宅さんより、御魂をお分け頂き、明治維新の「廃仏棄釈」の様な悲しい出来事が二度と繰り返さない様にと建立されました。

岩屋文殊

岩屋文殊

御廟所より約南方300m、新道西脇にあり、約1050年前から奉杞された智慧の守本尊文殊菩薩は、智将大楠公も信仰せられて知略を授かったといわれ、この岩屋で役行者も修行されたと伝えられています。

金剛山 転法輪寺の出迎え不動

出迎え不動

葛城廿八宿巡拜修行されている山伏達を始めとし、当山へ参拝されるすべての人々を出迎えし、また、経塚巡拜修行の奉告護摩を厳修させて頂く為に開眼されました。今では葛城回峰行の基点となっています。

金剛山 転法輪寺のひさご池

ひさご池

天正13年(1585年)豊臣太閤秀吉が増田長盛、片桐旦元を従えて当山に参詣の際掘った池でその形は公の馬印千成ひょうたんを形どってあり中の島は亀を表現して弁財天をお祀りしています。

金剛山 転法輪寺の十三重の塔

十三重の塔

当山有縁無縁の萬霊を回向供養するために建立されました。十三佛とは、人が亡くなり天上界へ辿り着くまでの世界『中有(中陰)』を司る七佛と浄土天上界にて三十三回忌を迎えるまでの六佛をいいます。

七高山

  • 近江
    比良山
  • 京都
    比叡山
  • 美濃
    伊吹山
  • 山城
    愛宕山
  • 摂津
    神峯山
  • 吉野
    大峰山
  • 葛城
    金剛山
金剛山 転法輪寺の五堂七宇

五堂七宇

五堂
  • 本堂
  • 大日堂
  • 庚申堂
  • 大黒堂
  • 虚空蔵堂
七宇
  • 大宿坊
  • 長床坊
  • 実相院
  • 行者坊
  • 西室院
  • 石寺
  • 朝原寺

御本尊法起菩薩様

御本尊 法起菩薩様

日本でお会いする佛様は、殆どが中国やインドから来られた佛様ですが、法起菩薩様はこの日本でお生まれになられた珍しい佛様であります。
今から千三百年程昔、修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ)役行者(えんのぎょうじゃ)神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)様がこの山で厳しい修行中、華厳経諸菩薩住処品第卅二のなかに次のような一節、「海中処アリ金剛山ト名ヅク、昔ヨリ以来諸菩薩衆中ニ止住セラレ現ニ菩薩アリ法起ト云ウ、ソノ眷属諸菩薩衆千二百人ト共ニ常ニソノ中ニアッテ説法ヲ演ジ給ウ。」にて教えと仏縁を頂き、法起菩薩様を感得され当寺の御本尊として御祠りされたと云われております。
御姿は、五眼(ごがん)六臂(ろっぴ)(眼は五つ、腕は六本)で忿怒の形相をされており、左手に鍬(くわ)、弓、鋤(すき)を執り、右手に蓮華、矢、五鈷杵(ごこしょ)を持されています。持物である鍬と鋤は、五穀豊穣、悪疫害虫退散を意味し、民衆の願いである「五穀は人を造り、家を守る」という心願を御姿で表現されたものだと思われます。やはり修験道というものは、民衆の切実な願いに答える為に、世の中に自然と布教され広まっていった事も、この尊像から推測出来るのではないでしょうか。仏教的な意味としては、五眼は五大(地・水・火・風・空)、宇宙萬物の平穏。六臂は人の六根(目・鼻・口・耳・身体全体・心)の健全を願っておられます。
記録(当寺の古文書)によると、脇佛として不動明王様、蔵王権現様を両脇に従えておられた様ですが、その蔵王権現様の御顔の内刳に墨書が残されておりました。
「文化五年(1808)四月、南都下御門之大仏師朝香広慶作」と記されており、法起菩薩様もおそらく同時期に、同作者が造立されたと思われます。時代も変わり明治になると、日本では神道が重んじられるようになり、たくさんの寺院や佛様が壊されました。(明治維新、廃仏毀釈)当寺もその標的となり、御本尊様を秘佛として御祠りするしかない御姿(胎内佛)になられてしまいました。そして去る平成23年10月9日、歴代の山主様達の念願でございました、御本尊法起菩薩様と脇佛(蔵王権現様・善財童子様・不動明王様・矜羯羅童子様・制吒迦童子様)の合計6尊を復刻遷座させて頂きました。秘仏ではなく、いつでもご拝観頂けます。どうぞお参りくださいませ。